ネコ好き中年坊主のほぼラン日記

ランの話しが大半ですが…ネコと日本史も好きです

3月17日に思うこと

3月15日

 

ここのところ特に寝不足で頭痛が消えず、仕事が終わったら気絶…

結果しっかり休めたので良いのです(*^ω^*)

 

3月16日

 

仕事が終わって夕方21.4㎞ジョッグ1°40'17"

ズームフライを履いて走りましたが、ゆっくりでもやはり大腿部の張りが後半に出ました。

まだまだ使いこなせないかな〜。

 

夜は友人の元格闘家の誘いで、ハードなトレーニング!

吐きそうなくらいキツかったです。

 

3月計169.1㎞

 

 

3月17日

 

前日のトレーニングで全身筋肉痛_:(´ཀ`」 ∠):

 

体をほぐす感覚で15.3㎞ジョッグ1°09'31"

 

3月計184.4㎞

 

 

 

もう日付が変わりましたが…

 

3月17日は母の命日です。8年前に亡くなりました。

 

自分がめちゃくちゃ苦しい時に、親は追い込むだけで助けてくれなかった。

昔、僕はそう思いこんで親を憎んでいた時期が長くありました。

電話で怒鳴りあいをして、それがきっかけで「もう帰ってくるな。」と言われ、僕もこんな家に二度と関わるものかと思って疎遠になりました。

 

父親が病気になっても知らされず、母親がガンを発症しても知らされず、兄から両親の状況を聞かされました。

 

僕が結婚して子供が生まれても、両親は会おうとせず僕も連絡はするものの自分から会いには行きませんでした。

 

ただ、自分が親になってみると、「両親はあの時こういう言い方をしたけど、本当はこういう気持ちだったんだな…。」と、両親の気持ちが理解出来るようになりました。

 

「自分みたいに大変な子供を育てるのはキツかったろうな。」と改めて実感し、両親への思いも変わり始めましたが、やはり長い時間一緒にいることはお互い難しく、短時間の交流のみでした。

 

 

兄から連絡を受けて実家に行った時には、母親は意識がなく話せませんでした。

育ててもらった恩返しを充分出来ないまま、母親は亡くなりました。

 

そして、母親が生前に詠んでいた俳句を父親から見せてもらいました。

 

その中には僕について詠んだ句がいくつもありました。

 

大喧嘩をして縁が切れていた間も、母親は僕のことを気にかけ、遠くから見守り続けていたことを初めて知りました。

 

親の心の広さを知ると共に、ここまで愛情を注いで大事に育ててもらったのに気付かず、狭い考えで勝手に憎んでいた自分の小ささを痛感しました。

 

親は僕の折れる姿に心を痛めつつ、手を貸すのを必死で我慢して、這い上がることを信じてくれていたのでした。

 

父親とはまだ互いによそよそしく、距離があります。

でも、今は決して喧嘩をしているのではなく、お互いに安定した関係を保つのにはその距離感が必要だと感じているから。

父親は畑で採れた作物を送ってくれますし、僕も手紙で近況報告をしています。

 

なかなか周りからは理解されない関係性ですが、2人はちゃんと繋がっています。

 

直接の恩返しが出来ないもどかしさはあります。

でも無理に会えばまた関係が壊れることも互いに理解しています。

 

ならば、せめて自分が出来ること。

 

何度心が折れても諦めず復活する強さを見せ続けること。その強さは両親が育ててくれたから手に入れられたことを忘れず、両親に感謝すること。

 

自分勝手過ぎる返し方ですが、これが今の自分に出来ることです。

 

あれだけ打ちのめされて大嫌いになった走ることに、今はこれほど生き生きと取り組めている強さも、親からもらった大事なものです。